かわいい若手

会社の会議室へ向かっていたら、前方から女性が歩いてきた。

いつも通りすれ違いざまに会釈をすると、「お疲れさまです」と返ってきた。
女性はこちらを覗き込んでいるような視線で、少し照れながら口角を上げていた。その初々しい雰囲気からすぐに新入社員の子だとわかった。お互いの肩が過ぎようとしていた瞬間になんとか私も「お疲れさまです」を差し込んだ。

しまった。感じ悪かったかもしれない。というか、私もつい数日前まで新入社員だったのにいつの間にこんな省エネモードになってしまったんだ。わざわざ声を発し笑顔までつけて挨拶してくれた新入社員の子への申し訳なさと、見習わねばと身の引き締まる気持ちになった。

そういえば先日のお花見で、広報の方が「新卒はいるだけでエネルギーもらえるんだよ。こっちも引き締まるの」と言っていたが、なるほどこういうことか。引き締まるのもそうだが、おそらく緊張や不慣れから丁寧になっている言動も、接するだけでこちらは嬉しくなってしまう。かなりの威力があるので、春から新入社員になった子はその魅力を余すことなくつかいたおしてほしい。

 

さて私は春から「新入社員」の称号を剥奪されたのだが、初々しい新入社員の子と接したことで、もう少しかわいい若手になった方がいいのではないかという気がしてきた。この手のものは思い立ったが吉日なので、早速最近仲良くなった社員さんに話しかけてみることに。

とても優しい方なので、忙しい手をとめて新卒2年目の他愛もない雑談に付き合ってくれた。そして「スタバのチケットが余ってるので、今度消化するの手伝ってください」と、奥ゆかしい言葉でコーヒーブレイクにまで誘ってくださった。発端が「かわいい若手になりたい」だったことは絶対に黙っておこう。

 

「新入社員」の称号は剥奪されてしまったが、とはいえ2年目なので意外と私もまだ周囲へエネルギーを与えられる存在かもしれない。そうでなくても、普段関わりのない人と話すのは新しい発見が多くて楽しいのでこれからもちょこちょこ色んな人に話しかけてみようと思った。

いいね

久々に母と電話で話した。

仕事のことや生活のことなど近況を色々と話すことができてとても楽しかった。
ひとしきり話した後に、はてなブログのいいねボタン(星)の話になった。

母もときどき私のブログを覗いてくれているのだが、いいねについてはよく分からず押していたらしい。
アカウントを作らないと押せないと教えると
「あぁ、これ別の人なのね。フグを何回か押したらカエルになるんだと思ってた」と。

なるほど、その発想はなかった。
SNSネイティブでなければ、"いいね"までは理解できても、"アカウント"や"アイコン"は直感的に認識できないのか。イラストが並ぶと"別"ではなく"延長"と捉えることも面白い。
私はそこを誤認したことがないのでとても新鮮だった。

世代が違い、触れてきたものが違うと1つのものを見ても発想が違うのでなんだかハッとさせられる。母に教え、私も教えられた気持ちになった。


ちなみに母よ、ついでにもうひとつ。左のアイコンはフグではなく飛行機のキャラクターだと思うよ。

桜を愛でる会

今日の夜はちょっと変わったときを過ごした。

会社の監査役、内部統制、広報、編集というへんてこな組み合わせでお花見をした。
お花見場所にゆかりのある監査役、内部統制、編集のおじさんたちに混ぜてもらう形で私(と広報の方)が参加。別部署の人とコミュニケーションが取れる機会なんてなかなかないしと、思い切って参加してみることにした。

とはいえ世代も結構違うし、気まずくなったり気を遣われたりしないかなぁと心配だった。
が、最寄駅につくやいなや「あぁ!」と小さく叫び駆けていくおじさんたち。「高校のときのバイト先!」「道が綺麗になってるなぁ」などと懐かしの風景にはしゃいでいた。

そしてやっぱりすごいのはお酒の力。
懐かしの風景に心を揺さぶられたおじさんたちだったが、初めのほうは流石に20代前半の私との距離はまだ図っているようだった。しかし、お酒を入れると一転。小学校の校歌の演奏でシンバルを担当するのが花形だったとか、最寄駅に特急が停まらないのでお父さんが駅に殴り込みに行ったとか、なかなか細かい昔のエピソードを話してくれた。
前回書いた記憶の話じゃないけど、よくそんなに昔のことを覚えているものだなぁと思った。

桜とお酒と焼き鳥と、立場年齢も関係なく思い思いのことを話したあの時間は、なんだか不思議でとても趣があった。じゃあまた、とにこやかな笑顔で帰路に着くおじさんたちの背中を見送りながら、お花見の前と後とで私たちは全く異なる関係性になれたのではないだろうかと思わずにはいられなかった。

ぼんやりと、つい最近見たプロジェクトx(の予告)でスカイツリー建設を担う会社同士の仲を深めたのもお花見だったなぁと思い出し、
昔からお花見には何か不思議な力があるのかもしれないなと思ったりした。

記憶と忘却

数日前、iPad(中古)を買った。

 

通勤で電車に乗っている時間が長いので、iPhone電子書籍を読みながら時間を潰すことが多いのだけど、小さな画面の一点を長時間見つめていると頭が痛くなることに悩んでいた。

だから、iPad(中古)を買った。

決して人生初の“タブレット”がほしかったからではない。頭痛に悩むことなくコンテンツに触れる環境を整えるために買ったのだと、私は私を信じている。

 

iPadを買ったので、以前から入ろうと思っていたサブスク『SAMANSA』に早速課金した。月額370円で世界中のショート映画(1作品の上映時間は3分-29分以下)を観ることができる。

運営会社の代表 岩永さんの想いもとても素敵。

世の中では、毎年何千何万ものショート映画(一般的には40分以下の映画を指す)が制作されていると言われています。しかし、その中で金銭的なリターンを得られている作品はほとんどありません。どれだけ素晴らしい作品でも、どれだけショート映画制作が好きでも、金銭的に制作し続けることが難しいという現状があります。

クリエイターの創造性を尊重しつつ、ビジネスとしても成立させ、ユーザーの心に響き、一度観たら忘れられないような作品を届けていきたいです。

PRTIMES STORY より

 

どれも素敵な作品なのだけど、なかでも、引っ掛かるところがあるが何かわからず、でも気になって何度も観てしまう、という作品がある。

 

『記憶と忘却』

この作品は、“記憶の価値は以前と同じなのか”という問いから生み出されている。

インターネットによって膨大な量の情報が外部に記憶される現代。それらは、焼失することもなく、プライスレスで、容易にアクセスできる。はるか昔は、石や葉、少し前までは紙がつかわれていたが、恐らく現代までに膨大な量の情報が消失している。そう考えると、インターネットは本当に素晴らしい産物だ。

ただ、技術の発達にともない、いつ・どこで・どんなものも何かしらの形で残せるようになると、“残したくない記憶”が生まれるようになった。不適切な発言、SNSの誤投稿、炎上……、人類史で初めて“忘却”が価値を帯び始めた。

 

外部に記憶できることが当たり前になったいま、もし忘却できるものが出てきたら熱烈に欲する人はいるんじゃないかな。需要は満ちて溢れ出してはいけなくて、でも溢れだすまでは求め続けるんだろうな、“ちょうどいい”は結果論だしなんだかとても人間っぽいなと思う。

 

私が引っ掛かっている気がするところは、作品の最後の言葉。

「かつて外部に出ることのなかった秘めた思い出と同じ価値があるのでしょうか?」

「考えてみると昔は“忘れられない瞬間”を作るために努力していました。」

「それがささいな瞬間でも」

 

何が引っ掛かっているのかわからないまま書いてしまうけど、
外部に記憶できることが当たり前だと、いまにこだわらない、というのはあるような気がした。いまへの集中力の薄れというか(いい悪いではなく、特徴として)。

外部に記憶できる安心感があると、内部に記憶が残りにくいんじゃないか。何か思い出すとなると私はまず写真フォルダを開く。父が昔のとんでも話をすらすら話す姿を見て、私とは違う(いまなお語れる強烈な思い出を作れる)時代の人だと思っていたけど、実は私にも大なり小なりとんでも話はあって、それを内部に記憶できていないだけだったとか……?

 

恐ろしい。

作品を観て“私が引っ掛かったところ”がこれだったのかはわからないが、
もうちょっといまにこだわろうと思った。

 

思いっきりインターネットの恩恵を受けているブログに書くのはなんだけど。

1年の振り返り“会”

今日は、以前ブログで触れた「1年間の振り返り会」を行った。

 

honamin828.hateblo.jp

 

メンターさんふたりと上司、私の4人で、私の良かった点と改善点を振り返り、2年目に向けた準備をする会。この1年で1番お世話になったお三方に囲まれるのはなんだか不思議な気持ちで、妙に緊張感があった。

 

会のはじめは私視点の振り返りを共有した(「1年の振り返り」記事参照)。つぎにメンターさんから、最後に上司から、私の良かった点、改善点、2年目に取り組むことを共有してもらった。

共有してもらった内容は以下(オレンジ字は私の振り返りと同じだったもの)。

 

良かった点

  • 【姿勢】向上心/成長意欲(質を追求し周囲へ積極的に質問)、業務への責任感、積極的な意見出し(サービスの質の向上に寄与)、当たり前のことへの疑問
  • 【スキル】十分な事前準備、インタビュー・撮影の質が向上、執筆スピードが徐々に向上、依頼事項のまとめ方・提出物が丁寧
  • 【周囲との関わり方】先輩への基本的な気遣い、先方へのメールも不安要素なし

思いのほかマインド面を評価されていた。理想が高いので昔から基本意欲も高い。ベースなので忘れていたが、客観的には評価される姿勢なんだなと思った。あとは、準備・取材・撮影と、徐々にスキル面も向上しているようで良かった。

 

改善点

  • 【姿勢】アドバイス/FB吸収の前に納得感を優先慎重さが自身に悪影響(良い点だがスピード減、成長のブレーキにも)
  • 【スキル】スピードと質のバランスタスク過多だとケアレスミス頻発
  • 【周囲との関わり方】気分の上下が表に出ることも

改善点は私の振り返りと重なるものが多かった。私が挙げていなかった“気分の上下が表に出ることも”は、直近の精神的な崩れもそうだし、疲れやイラつきなどが思いのほか顔に出ているんだろうな、と思い当たる節がかなりある。周囲に与える影響を考えると改善していかねばと思う。

 

2年目に取り組むこと

  • スピード
    • 向上の方法を常に考える(色々試す)
    • 時間内にやり切る
    • 修正・アドバイスを素直に吸収
    • FBの意図を読み取る
      • 毎回考え、仮でも答えを出す
  • ミス
    • スピードを意識しない
    • ミス防止の仕組みづくり、徹底
  • 「教えたい」と思われるキャラを作る
    • 学生時代の延長ではなく「会社で働く財前」
    • FBをまず受け入れる
    • 質問すべきか自分で考えるべきか基準を設ける
  • 時間を割いてくれる人への感謝・リスペクト
    • 自分の方ができると思う瞬間があっても意識してバイアスをとる
    • 真摯さ/謙虚さは自身の向上、周囲の協力につながる

まず、スピード、質、ミスなど、項目別に詳しく取り組むべきことを共有していただいたことに本当に感謝したいなと思った。

なかでもハッとしたのが、“学生時代の延長ではなく「会社で働く財前」”。振り返れば、「会社で働く財前」にはなれていなかった。今日、同期(ディレクター職)の発表姿を見る機会があったのだが、話し方が別人だった。そのときはぼんやり「違うなぁ」と感じていたが、いま思えば同期は「会社で働く⚪︎⚪︎くん」になっていたということだったのかもしれない。

話し方ひとつにもオンオフは表れる。私は、同期のようにクライアントとMTGといったオン必須の状況があまりない分、自分で日々意識して「会社で働く財前」を作っていかなくては、と思った。

 

もちろんそのほかの項目も自分に落とし込んで、2年目が終わる頃には「そんな振り返りもしてたなぁ」と余裕を持って懐かしめるくらいになっていたい。

ねむい

ここ数日めちゃくちゃ眠かった。

 

それはもう底なし沼のようで、気づいたら沈んでいて、抗ってジタバタしてちょっと這い上がれたと安心していると、また沈みかけているという無限ループに入る。

 

もともと高校生の頃から2~3ヶ月に1回そんな時期があったので、さほど驚きはしない。社会人になってからはあまり来なくなったので克服したのかと思っていたので、そういうわけではなかったかぁと思ったくらい。

 

この睡魔の難しいところは、抗いようのない眠気と睡眠をとってもあまり解決しないこと。象徴的なエピソードとして、高校時代のバスケ部での思い出がある。

 

その日もなんだか眠いなぁとは思っていた。ただ、部活の練習ではラン、ドリブル、パスなど常に体を動かしていたので途中で眠気は忘れていた。

ほどなく、試合形式の練習が始まった。5対5で試合時の流れの想定や動きの確認をするというもの。15×28mのコートをひたすら走るので、楽しくも苦しい練習で、息を切らしながら走っていた。

 

ただ、ほんの5秒。自チームの誰かがファールをして相手がフリースローに入ったとき。リバウンドを取ろうと、ゴール下でポジション争いをしていたとき。フリースローを打つ子が審判役の子からボールをもらい、手からボールが離れるたった5秒の間に、とんでもなく大きな睡魔の沼に引きずり込まれた。

 

ボールがガンッとゴールに当たり、その音で目をさました。無音から急に現実に引き戻され、一瞬何がなんだかわからなかった。多分リバウンドは取れなかったし、チームの子には申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、ある種自分のなかで気づきのあった瞬間でもあった。

前日は普通に睡眠をとって、部活であれだけハードに動いても、眠くなる。これはもう抗えない。諦めよう、と思った。そう思うと意外と楽になったので不思議なものだ。(もしかしたら他の人も同じような時期が定期的にあるかもしれないが)私のひとつの特徴として理解しておくことにした。

 

ここ数日の眠気はさすがに高校生当時ほどではないが、やっぱり眠い。かなり仕事が落ち着いてきて安堵しているのもあるかもしれない。仕事が立て込んでいるときとかさならなくて良かったなぁ。

 

===

全然関係ないが、今の出来事が起因して何か昔のことを思い出すとき、なんだかんだ部活のことが多い。私の場合、部活か勉強かの生活だったからということも関係している思うが、部活が人生に与える影響って大きいんだなと思った。

お金をつかうとき

彼と下北沢の展示へ行った。

“お金”に対する考え方やイメージのアップデートを提案する展示。コンセプトムービーを観て、分かるようで分からない問いかけにとても興味を惹かれた。
youtu.be

展示は小さめのスペースで開催されていて、入った瞬間かわいいイラストのパネルに囲まれ、異空間に足を踏み入れたようだった。イラストの雰囲気から、“いま”ではなく“訪れるかもしれない未来”のことだと感じとれた。

この展示が開催されたきっかけは、2年前に展示した“Carbon Pay”。

「Carbon Pay」
未来の常識に対応する新しい習慣の1つで、自分のカーボンフットプリント量に相当する金額を、CO2を吸収する取り組みに送金できる仕組みの構想。

このアイデアに多くの関心が寄せられた一方で、「本当にこれでお金を払う人がいるのか?」という意見もあったそう。未来に必要な習慣を身につけるためには、お金に対する考え方やイメージをアップデートする必要があるのでは、そもそもお金とは何かを考え直す必要があるのでは、という問いからプロジェクトが発足。
議論を重ねるなかで、お金=価値を表す物や交換の手段、ではなく、“お金=未来を少しだけ変えるための道具”と捉えなおし、本展示を企画したという。


展示では、お金に対する考え方をスマホで診断できたり、擬似的な購入体験ができたりして、とても面白かった。診断後と購入体験後に提示される“お金に対する考え方のタイプ”を比べると、理想と実際の行動の結構違うもんだなと思ったり。

「街の小さなパン屋で毎日丁寧に焼き上げた食パン」や「大手製パン会社で味を追求して研究・開発された食パン」など、4つの食パンのなかから購入したい1つを選ぶ(QRコードを読み込む)

私の購入体験後のタイプは「進化の先導者」だった。

「進化の先導者」
社会と産業の変革を促し、大胆なイノベーションと共に新しい未来を切り開く人です。枠にとらわれない発想で、生活や思考を更新すことを恐れず、技術革新や新たなビジネスモデルを積極的に活用し展開することで、社会の進化を加速させます。

また、“もしかすると訪れるかもしれない、「進化の先導者」タイプなあなたの未来。”として、以下が記載されていた。

南暦2050年、あなたが住む街の景色は、変わらずここちのよいくらしが続いています。
けれど、変わったことも、たくさん。
例えば、旅行も「いまある場所・コンテンツへの移動」から、「いま未だ見ぬ世界・コンテンツへの“ダイブ”」が一部の人たちには人気のものへとなってきました。直接行けるところへは行き尽くした。そんなイノベーター精神の強い人たちにとって、最新機器を身に付けて視界、そして脳に直接未知なる世界へアクセスする”ダイブ体験”は、新しいビジネス発想にも役立っているそうです。

タイプは9つあるので、その全てにタイプの説明と未来のストーリーがあると思うと、運営の方々の創造性にただただ脱帽だった。さらに奥に進むと、(擬似的に)商品を購入したことによって訪れるかもしれない未来も掲示されていた。

ここまで、“訪れるかもしれない未来”が現実味を帯び、読み手がわくわくするのも、運営の方々の物語を紡ぐ力だよなぁと思った。まだ世の中に実装されていないことや所属の場所で前例がないことを実現するために必要な力のような気がした。


展示鑑賞(体験)後に感想を言い合っていると彼が「お金は物の対価というか、“消費するもの”っていうイメージしかなかったけど、“生み出すもの”って捉える切り口が面白かった」と言っていた。

私もいままでお金は“消費するもの”と捉えていた。スペースにいた運営の方は「子供のときから教育としてこの考え方を提示できたらいいんですけどね」と言っていて、たしかに私くらいの歳になってお金のイメージをアップデートするのはなかなか難しいよなぁと思った。
さいころに“教育”として提示しなければ、その後の購買行動は家庭での考え方によるところが多いだろう。実際、以前必ずオーガニックな食材を買う友達にそのわけを聞くと「実家がそうだったから」と言っていた。


私は展示を鑑賞(体験)しながら「お金を“未来を少しだけ変えるための道具”にできる(その選択肢を取れる)人がいれば、そうでない人もいるだろうな」と思った。未来を想像するよりもいま生きることを優先せざる得ない人もいるだろうなと。その辺りも彼と色々話し、
「お金を“未来を少しだけ変えるための道具”にできる人がそういう購買行動をすることで、世のなかが少しずつ良い方に変化して、できない人との格差が是正されていくのかもしれないね、それも含めた展示(お金に対する考え方のアップデートの提案)だったのかもね」
という結論に至った。

いま思えば、未来への投資的にお金をつかう!なんて大きなことではなく、いままで通りの購買行動でちょっと未来に思いを馳せてみて、ということだったのかもしれない。という気もするし、でも最終的には未来への投資にお金をつかうことを考えて展示していたんだっけ、と思ったり。

未来の私がお金を“未来を少しだけ変えるための道具”にできるかわからないが、自分のなかにいろんな捉え方を持てる人ではありたい。
次の買い物ではちょっと未来に思いを馳せてみようと思う。


(昨日中にブログをあげられなかった……くぅっ……)