【ゼミブログ】古典!③

こんにちは!ざいぜんです。

 

今回も【ゼミブログ】を書いていきます。

今回は横山先生より「源氏物語の続きを考えてみよう」とのお題を頂きました!

 

では、そもそも源氏物語りはどんなラストを迎えるのかというと…

 

ラストは「光源氏が亡くなった後の世界」で、子孫たちの恋愛模様が描かれています。

主な登場人物は、薫(末の子)・匂宮(親戚の子)・浮舟です。

薫は、亡くなった恋人の妹である浮舟に恋をします。しかしその現状を知った匂宮もまた浮舟を誘惑し出すのです。

浮舟は、三角関係に悩み自殺をはかります。しかし、死にきれず、拾ってくれた僧の下で出家をしました。が!

そんなとき薫に消息が見つかるのです。当然、迎えにきた弟には「戻りません」と書いた手紙を託します。

それを読んだ薫は「身分の低い俺以外と付き合ってしまうような女だ、別に男でもいるんじゃないか」と思うのでした。   

 

ん?終わっちゃった。

(ゼミ後に調べた内容も入っていますが)なんと身もふたもないラスト…。何も解決しないし、誰も幸せにならないという。華々しさが印象的である源氏物語のラストがこれ?、と感じてしまいました。

(浮舟に対して)1回でも会って話をすればいいのに…とか、(薫に対して)好きだった人をそんな風に思って自分の気持ちにケリをつけていいのか…とか、何だかとてもモヤモヤします。

 

さて、そんなモヤモヤを抱えたまま、今回横山先生から頂いた最初の問は…

源氏物語」は源氏を中心とした物語。

源氏の死後は、物語を描き続ける必要がなかったにも関わらず(しかも読者にとってはモヤモヤのラスト)、紫式部が第3部を書いた理由とは?

 

私が考えた答えは、「モヤモヤを残したラストにすることで、後世の人に源氏物語の続きを考えてもらい、どの時代でも語り継がれる物語にしたかったから」でした。

書かなくてもいいのに書いて、しかも書くことでモヤモヤを残したのには、何か紫式部なりの意図があったとしか思えませんでした。とすると、私が考えてしまったように、後世の人に物語の続きを考えてもらいたかったのではないでしょうか。

しかも、もう紫式部はこの世にいませんから、私たちはひたすら「答えのない問」を考え続けます。後世の人が考え続けることで、源氏物語は今もなお現代に生きている(語り継がれている)…!…のかな、と。

他にはこんな意見が出ました。

  • 周りの人々に「続きを書いてほしい」と頼まれたのでしかたなく
  • 誰かに向けたメッセージ
  • 本当はまだ続きを書くつもりだった

おおお。なるほどなぁと思う意見ばかり。自分では「これだ」と思う答えがあって、でも他のみんなの「これだ」は違っていて、みんなに対して「そんな視点を持てて羨ましい」と思うけど、それはみんな一緒かとも思うという(本当はあまり素直に受け入れられてないけど…)。

源氏物語」と関係ないけどそんな堂々巡りをしていました笑。自分の考えの狭さがちょっと嫌になりますが、それは色んな知識をもち考えを広げて「これだ」という答えを出したとて、感じてしまう「残念感」なのではないかなと思いました。どっちにしろ自分が出す答えですから、他の意見にはっとさせられるのは当たり前です。考えを広げる努力はするとして、まずは自分の考えを認めねばと思いました。

まぁでも私は今回、自分以外の3つ分の視点を手に入れたので、しめしめと自分の懐に入れておこうと思います。いつか出すぞ!!!笑

 

なんだか、話がずれているので戻すと…

上記の問は、横山先生的な視点でいうと「紫式部は、浮舟と自分を重ね合わせていた」のだそうです。

実は紫式部は、出仕に前向きではなく、宮仕えをしても周囲には学才を疎まれていたそうです。そんな中「源氏物語」をもくもくと書く様子は、確かに出家後に黙々と手習いをする浮舟と似ているかもしれません。

 

 

 さて、今回の本題です!

薫と浮舟のすっきりしないラスト。読者は不満に感じ、続編を書く(「山路の霧」)。私たちならどのような作品を書くか?

 

早速チームに分かれ、みんなでこの問について考えていきました。

浮舟の言動や「紫式部は、浮舟と自分を重ね合わせていた」というお話から

  • 紫式部は、光源氏という救いがない状態の浮舟と自分を重ね合わせていた

→ 救いの手を差し伸べてほしかったはず!

  • 浮舟が薫からの手紙受け取らないのは、まだ薫に気があるから

→ 浮舟のもやもやの原因!

という視点から

何らかの救いにより、浮舟のもやもや(「こうしたかった」)を叶えることで、紫式部の気持ちも救ってあげたい!

と考え、出たお話がこちら

 

浮舟は、強い意志から薫に会えず(しかし気持ちは薫にあり)、もやもやと手習いをしていた。それを見かねた横川の僧都が浮舟に「薫に会ってみたら」と諭すと、浮舟は薫に会う事を決断。そこにちょうど弟再来。浮舟はこれは最後のチャンスだと感じ、薫にお返事を書いた。すると、薫が浮舟に会いに来ることになり、2人はお互いの気持ちを再確認し合う。

ここで、たける君&ふみや君のからご意見が…

「横川の僧都って、浮舟の出家を受け入れたんだから、浮舟と薫が会う事について賛成できるのかな?」

確かに…!

出家とは「俗世界の生活から離れて僧侶を志して仏道修行に専念すること」らしいです。出家した人は俗世界の縁を全て断ち切っていますから、横川の僧都は浮舟と薫が会うことに賛成できないかも…

じゃぁ、横川の僧都の諭し路線は使えないかぁ、と思いました。

 しかし一世一代の決断!何らかのきっかけによって浮舟に一歩踏み出してほしい…と思い、再度考え直し出たおはなしがこちら

 

浮舟は、強い意志から薫に会えず(しかし気持ちは薫にあり)、もやもやと手習いをしていたところ、夢に小野〇町的な人物が登場。現代的な恋愛価値観を浮舟にさとし、浮舟は薫に会う事を決断。そこにちょうど弟再来。浮舟はこれは最後のチャンスだと感じ、薫にお返事を書いた。すると、薫が浮舟に会いに行き、2人はお互いの気持ちを再確認し合う。

 

「小野〇町」!

従来の考え方や自分の固定観念から抜け出すにはやはり現代的な視点を持っていた方の力がいるかなと思い、夢に登場させました。「現代的な視点」「恋」「夢」といったらやはりこの方ではないでしょうか。

 

最後に。

何故私たちは古典を学ぶのか

 横山先生からの最後の問でした。

3回の「古典」を通して、感じることは「古典そのものを学ぶ」というより「古典を通して考える」ということが大切なのではないかということです。古典そのものというより、横山先生からは常に古典の世界と現代を行き来するような視点を与えてもらったなと思っています。

また、そういう意味で、古典を通し考えることは自分を見つめなおすきっかけにもなると感じました。

「答えのない問」だからこそ、みんなそれぞれの考え方の違いがでます。「1+1は?」って聞かれたらみんな「2」っていうと思うんですけど、「紫式部が源氏の死後の話を書いた理由は?」って聞かれたら絶対答えは同じにならないですよね。そこに、個性が出ると思いました。

更に、かなり時間制限のあったなか、古典を通した問と向き合ってきましたが、意外と瞬時にでてきた答えが自分のありのままの答えなのではと思います。

今後はその中で、自分がなぜその答えを出したのか、なぜそう感じたのかを考えて行きたいです。

 

以上!