『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦 』を観て

 今日満を持して『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦 』を観てきた。

私の『ハイキュー!!』歴はかれこれ6~7年。高校生のときにどハマりし、実家には全巻揃っている(揃えたのは一緒にハマった父)。帰省のたびに父の部屋からこっそり拝借して読んでいるが、未だに没入できる大好きな漫画だ。

私はひとりで映画を観に行ったのだが、映画館には3人以上で観に来ている人が多かった。読者の間で“好き”を共有されている漫画なんだろうなと、改めて『ハイキュー!!』の愛されぐあいを感じた。

 

映画化されたのは、漫画でも人気のエピソード“ゴミ捨て場の決戦”。私の推し・黒尾さんの頻出が約束されており、観るほか選択の余地はなかった。

冒頭は、カラスが旋回し、猫が登場……というシーンから。漫画ファンからすればこれ以上ないわかりやすい比喩であり、わかりやすいがゆえにこれから始まるぞ!感が一層高まった。

ほどなく、研磨が迷子になり日向と出会う。が、うーん……。前半は漫画のハイライトのような形になっていて、ひとつの物語として成り立っているのか若干疑問を抱いてしまった。(ちょっと粗い気がしたというか……)
私は漫画を読み込んでいるので登場人物たちの言葉の意味や重みをかろうじて追えたが、あまり知らない人・初めて観る人には伝わらなかったんじゃないかなぁ。

前半はそんな風に感じてしまった。

ただ、後半はメッセージ性に溢れていてとても感動的だった。特に終盤、完全に研磨の視点と一致して描写されるシーンは、映像だからこそ表現できるものだと思う。私は競技としてバレーをプレーしたことがないので、バレーの試合があんなにも近距離かつ凄まじいスピードで展開されることに驚いた。

研磨の有名なセリフで

おれ達が負けたところで勝ったところで誰も死なないし生き返らないし悪は栄えないし世界は滅びない。壮大な世界を駆け巡るでもなく ただ9×18mの中でボールを落とさない事に必死になるだけ。はぁ〜〜〜面白かった!

というものがあるが、9×18mの中でボールを落とさない事に必死になることがどれだけ難しいかを垣間見れた気がする。研磨は“必死になるだけ”と言っているけど。

ただ、“誰も死なないし生き返らないし悪は栄えないし世界は滅びない”はその通りで、部活はあくまでも部活。期間限定であり、世のなかに影響を及ぼすわけでもない。なのに、部活のあの、一喜一憂感情が動く感じや、複数の人たち(部員)が目線や行動を合わせる、あの感じはなんなんだろう。思い返すとフィクションみたいに思える部活の世界観って不思議だよなぁ。

また映画が、というわけではないけど、“ゴミ捨て場の決戦”は烏野高校、音駒高校のメンバーそれぞれが成長した姿を映し出してくれることも魅力のひとつだ。どのメンバーも進化のために新しいことを試し続け、試すことを楽しんでいる姿はとても勇気をもらえる。必要に迫られてやるのではなく、本当にただ純粋に上手くなるためにやる、その集中力と真っ直ぐさがもう眩しい。

部活をしていた中高時代に戻ってみたいなんて微塵も思わないが、『ハイキュー!!』の美しすぎる青春を観て、ちょっと若返った気がした。