以前と異なるものさしを指標にするのはちょっと勇気がいる。
1日1ブログを通して執筆スピードを上げようと毎日PCに向かっているが、最近よく思い出す情景がある。小学生のときバスケ部のフットワークで行っていた“サイドキック”。斜め横方向に足を蹴り出して、反対側の足で着地し、そのまま膝を曲げるという動作を体育館の端から端まで続ける、なかなかきついメニューだ。
あまり人気のないメニューだったが、私はマイルールを作って結構楽しんでいた。体育館にはいろんなテープが引かれているので「左に蹴るときはこのテープ、右に蹴るときはこのテープを絶対に越えよう」とか、「膝を曲げるときは肘が床につくくらい曲げよう」とか。
そんなことをしていたので、私は明らかにみんなよりゴールするのが遅かった。ただ、“サイドキックを真摯に(丁寧に)行っている”という点においては評価されたのだろう、コーチから褒められて満更でもなかった。
が、いま思い返せば、私のバスケスキルが伸び悩み始めたのは、意外とあのときからだったのではないかと思う。
冒頭にも書いた通り、以前と異なるものさしを指標にする勇気が私にはなかった。
“サイドキックを真摯に(丁寧に)行う”ことはもう一定達成できたのに、スピードを上げるとか回数を増やすとか、別の指標でトライすることができなかった。実は薄々気づいてはいたが「次でいっか」と伸ばし伸ばしにして、結局やらなかった。自分が確立した領域の外に出るのがちょっと嫌だった。
もちろんサイドキックに限ったことではない。一生懸命やっていたけど、ところどころでずっと使い続けたものさしを捨てられず、ぬるま湯に浸かり続けた結果、徐々に徐々にバスケスキルが伸び悩んでしまったのだと思う。
“執筆する”ことは大学2年生のブログ開設からなので、かれこれ6年間?続けている。ただ執筆のスピードはずっと遅い。最近よくサイドキックの情景を思い出すのは、いまと通ずるところがあるからだと思う。丁寧に執筆することは6年間続けていたが、そのなかで早く執筆することにトライしたことはなかった。いままでは必要なかった、とも、そのツケがいま来ている、とも言える。
どちらにせよ、いまが頑張りどきなんだと思う。
私のバスケスキルが“本当に”伸び悩んだのは中学3年生のとき。一生懸命練習していたのに、チーム内で、試合で、なんだか通用しなくなった。そのときに(当時はそんなに言語化できてなかったが)異なるものさしを指標にしてトライしてこなかったことに気づき、ちょっと後悔した。
全く違うジャンルではあるけど、いまが中学生のあのときの後悔を超えるときなのかもしれない。