哲学対話 ~マーク・トゥエイン『人間とは何か』~ 

こんにちは!ざいぜんです。

 

今回は、3年ゼミで学んだ哲学対話について。
実は、始まる前から人見知りを発動していて内心動揺祭りでした。でも、チームの2人が気さくに話しかけてくれて嬉しかった…(ありがとう!)。1年ぶりの哲学対話、とても楽しかったです。

 

 

哲学対話の重要性

先ずは、須長先生より「哲学対話は重要なんだよ」というお話から。

「対話」は、会話と議論の間にあるコミュニケーションです。話のトピックが、議論ほどは限定されていないけど、会話ほどはブレない。大まかな方向性は決まっており、問いと答えを繰り返しながらお互いの思考を深めていきます。

対話にはこの「問い」がつきものなのですが、なんとこれがとても大切なのだそう!

私たちは成長と共に「知識」を身に着けていきます。もちろん必要なことですが、「知識」には他の情報を排除してしまうという怖い側面も。一度身に着けてつけてしまうと、属性を決めつけてしまったり類似した情報を集めてしまったり…なかなか脱げない鎧のようなものなのだそうです。

しかし、「問い」はこの鎧にゆさぶりをかけることが出来ます。「本当にそうか?」と問いを立てることにより、馴染んでいた知識を馴染みのないものへと「異化」出来るのです。
つまり、既存の「知識」を「異化」できる「問い」を生み出す「対話」は重要!
さらに、今後社会に出て「答えのないもの」に立ち向かう私たちにとって、「答えのない問い」を生み出す「哲学対話」はとても重要!とのことでした。

 

哲学対話してみた

次に、事前課題をもとに哲学対話を実践していきました。

内容はざっくり言うと、『人間とは何か(本)』の中で老人が主張する「人間は、如何なる行為も自分、自己満足、自我の統一性のために行う、利己的な生き物である」という考え方について。以下の問いをもとに対話をしていきました。

  • 利己主義についてどんな感想を持ちましたか
  • その理由は何ですか
  • 利己主義は正しいと思いますか(正しい場合、倫理や道徳はどうなりますか)

対話の記録を写真に撮ったのですが、なんかブレブレで。まぁ一応貼っとくか。

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早速振り返っていきます。

 

利己主義についてどんな感想を持ちましたか。(理由も)

この問いについては、チームの3人とも利己主義を認めていた感じがします。

  • 間違っていない。
  • 人間の根本的な考え方。
  • 人間の動機として、辻褄が合う(一貫性がある)

私は、利己主義は「人間の根本的な考え方」だと思いました。

なんというか、動物としての防衛本能なのでは、と。「自分の身は自分で守る!」みたいな。(そう考えると、「利他主義」って利己主義が明文化されて、世に現されてしまったために出てきた「アンチ」なんじゃないかなぁとも思ったり。)

理由は、本中の老人の意見に共感したし、自分の普段の行動を振り返っても根本には「利己主義」がありそうだと思ったからです。

人から見たら利他的だと捉えられそうな行動も(例えば、ごみを拾うとか)、人のためと言うよりは「そういう自分でありたい(自我の統一性)」という気持ちからだと思います。

うーん、でも利己とか利他とか一概に言えない気もするなぁ。自分が利他と思ってても人にとっては利己と感じられてるかもしれないし、逆も然り。利己と利他で分けるのは、そもそもちょっと違うくない?と思ったり。(後で出てくるけど、道徳とか倫理も「利己的であるな」と言っているわけでもないような。人に迷惑をかけない利己なら道徳は守られているのでは…)

 

利己主義は正しいと思いますか。(正しい場合、倫理や道徳はどうなりますか)

 この問いについても皆「正しい」という意見でした。倫理や道徳にも、あまり影響はないのではという結論に。でも考え方が多様で面白いなぁと感じていました。例えば、こちら。

  • 利他はコミュニティで生き残るための手段(ツール)※1
  • 利己は誰もが持っていて自分の外に出したときに、人のためになっていたら利他、自分のためだったら利己になる※2
    ➡倫理、道徳も自分の外に出したときに「利己→利他」となったケースで成り立っている。それで特に問題になっていない。

ちょっと※1,2が分かりにくいのではということで図式化 ↓

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(伝われ、私たちの想い!!!)

 

ついでに、最近読んだ本『悩む力』にもヒントになるようなことが書かれていたので、メモ。

この本では、「自我」と「自己中」は違うとされていました。

  • 自我:自分を外から眺める感覚(他者との関係も見える、気にする)
  • 自己中:自分しか見ていない

更に「自我は他者との相互承認のもとでしか成り立たない」とも書いていました。
ここから、私は「利己的」は「自我」と「自己中」に分けられるのではないかと思いました。『人間とは何か』に出てきた、老婆を助けた男性は「自我」を保ったのだと思います。一方問いにある、倫理を壊す人(もしくは北斗の拳に出てきそうな人?読んだことないけど)は「自己中」にあたるのではないでしょうか。

つまり、利己的であっても自我を保つといった意識であるなら、倫理や道徳は脅かされないのでは、と思ったのです。

うーん、どうなんだろう…次回に続く。です。

 

さいごに

(なんだか書きながら考えがころころ変わっちゃったけど、折角なので残しとこう)

哲学対話、とても楽しかったです!
色んな視点が得られて本当に新鮮でした。まさに、醍醐味を感じられたという気持ちです。みんな答えのない問いへの向き合い方が真摯だなぁと、ぼんやり思っていました。

次回も色んな視点を得られたらいいなと感じています。

 

 

以上!