哲学対話② ~マーク・トゥエイン『人間とは何か』~

こんにちは!ざいぜんです。

 

前回に引き続き、哲学対話での学びと実践を記録していこうと思います。

 

今回の目指すことは、以下2点でした。

  • 当たり前に見えていたものを、問いによって「異化」する
  • 遅い思考(急・困難な道を歩むときのモード)を体感する

今回も、前回同様『人間とは何か』での老人の主張をもと哲学対話をしていきました。
老人の主張は、こちら。

  • 人は「自己是認(他人に認められたいという欲求)」を得たいという衝動を唯一の原理として動く
  • 自責や良心の呵責(厳しく責める)に反する行動をとると「自己是認」に反する
  • 自己犠牲的な行動も、そうしないと自分を許せないという「自己是認」が源泉

この主張をもとに、須長先生からご提示いただいた幾つかの問いに答えていく形で対話がスタートしました。

対話の記録がこちらです。あちこちに書きすぎて良く分からなくなっていますが笑

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まず、1つ1つ問いに答えていきました。

 

Q①:老人の主張を認めた場合、「愛」や「尊敬」といった概念は維持できるか。「自分を愛してくれている相手が利己心で動いている」と知りつつ、私たちは同じようにいられるか。
A①維持できる。みんな結局利己的であるため、愛の場合「相手が好きである自分、が好き」という状態が相互に保たれている。

Q②:自分が相手のために何かしても相手から「自分のためにやったんでしょ」と言われたら、自分は相手に対しどうすればいい?
A②:割り切る。みんなそう感じてるが言わないだけ。

Q③:誰もが「利己主義」を自覚している世界は、どんな世界になる?
A③:現状がそんな世界。

Q④:道徳・倫理は、単にお互いが快適に過ごすための作りごとに過ぎないのか。
A④:作りごとに過ぎない。共同生活をしていく上でのツール。

 

ここまで来て、「やばい!!」と心の中で叫んでいました。思考が加速している!!

チームの3人が「人間って利己的だよね」という意見で一致していたので、全く思考に揺さ振りがかけられなかったのです。それ故に、ものすごく浅いところで思考が止まっている気がして、哲学対話というより一問一答みたいな感じになっていました。

恐らくみんな同じようなことは感じていたんじゃないかなぁ。普通に考えるとこうだよね、でもこれでいいのかな…?…(沈黙)てなってました。たぶん。

ということで、須長先生にSOS!!チームに入ってもらい、揺さ振りをお願いしました。(これについては、後で反省を書きます…)

現状をお伝えし、幾つか問いを頂きました。頂いた問いがこちらです。

  • 例えば、有名人が寄付(利他的なこと)をしても「好感度上げだ(利己的だ)」って言う人はいるよね。利己は他人を批判するときに用いられることが多いことはないかな?
  • みんな利己的と自覚していても、子供には利他的であることを教えるよね。
  • 利己的であることが突き抜けると、殺伐とした世界にならないかな?

うーん、確かに。みんなが利己を自覚した世界と現状はちょっと違うかも。と、考えていた時に、

「人は利己と利他のバランスをとりつつ生きているのでは」

という意見が!!!!!!どういうことかというと、
(前提として、人は利己と利他の天秤を釣り合わせようとしているというイメージで…)
人間が本来利己的であることは変わらないのだけど、利己的であり続けると、孤独を感じたり心が疲れてきたりする。(そうなってくると、離人症哲学的ゾンビと近い状態に)そこで、利己に傾きすぎた天秤を戻すように利他的な行動をとるのでは。(そして、利他に傾きすぎると「自分の意思とは…」ってなって利己的になったり…、エンドレス)

ということでした。

老人も少年に話しかけているのは、利己に傾きすぎた心を利他によって釣り合わせようとしているのでは、という話にもなったなぁ。

私も、あぁそうかもと思いました。
改めて「利己の世界」を想像してみると、本当に孤独な世界だなと思います。誰も信じられなくて、人の優しさが歪んで見えるような世界なのかな。そんな殺伐とした世界に生きているような実感はないなと思いました。
今の世界も、考えようによっては「利己の世界」と考えられると思うけど、そんなこと考えてたらキリないし疲れるのです。
だからかなぁ、普段そんな「その行動は利己か利他か」なんて意識しないし考えないです。(意識しないから実感がないのか、そうではないから実感がないのか…)

で。私たちは「バランス」だという答えを出しましたが、改めて本当にそうかと考えてみることに。利己心には結構賛成なので、最近「純・利他心」で行った行動があったかなと遡ってみました。見返りを求めない相手のための行動、てことですね。

あ、あ、ある!

お姉ちゃんにアプリについて聞かれたとき、めちゃくちゃ情報を引っ張ってきてました。見返りは、求めてなかった気がする。あくまで想像ですが、そのとき「ありがとう」と言われなかったとしても(実際は言われている)、別に良かったと思います。

いつもお世話になってる側なので、私に出来ることなら!みたいな、恩返し的精神だったのではと思います。私の中にも利他がいた!

今、思いついたことをイキナリ書きますが、家族からもらうもの(行動)って利他的(見返り必要なし)のものが多い気がします。というか、私が「ありがとう」くらいしか返せないのだ、。いや、これ本当に不思議なのだけど(長くなるから書かないけど)、家族ってなんなんやろう。まじで

ふわっと言いたいことをまとめると、「バランス」の中には「年齢」とかも関係してくるのかなと思ったのです。もちろん、私たち(若者)の中にも利己と利他のバランスはありますが、結構利己心が強い気がしていて。時期的に、利己心に傾いているということもあるのかなと。

実は「家族(親)の無償の愛ってどこから出てくるんだろう」と考えていたときがあるのですが、そのときの感覚と似ている気がします。その時は「親になってないから分からないのかも」という結論に至ったので、私が今「利他」にピンと来てないのも、もう少し利己時期を過ごさないと見えてこないものなのかなと思いました。

え、これ、言語化出来てる?

ちょっと良く分からなくなったので、一旦寝かせることにします。今日はこの辺で終わりたいと思います。(逃)

あ、まって、そうだ反省書いてなかった。

 

須長先生にSOSを出した件について…
チームで考えた方が良かったかなぁ。こういうとき、頑張って回そうとする癖があり、思考が揺さぶられない&沈黙がもったいないかも、という気持ちでSOS出してしまいました。結果論で行くと、私たちの考え(既存A)と須長先生の考え(既存B)で、新しい考え(新規C)が生まれたと言えなくもないけど、うーん。私の感覚でSOSを出してしまったので、そこは良くなかったかも。なんか必死になってたかも。見栄だったのかも。

もうちょい周りを見て「聞いて」判断できるようになりたいと思います。

 

 

以上!