体力

「オタクをする体力がなくなった」

定期的に開かれる雑談会でデザイナーさんが言っていた。学生時代は漫画、アニメ、映画など、目一杯コンテンツに触れていたのに、社会人になってその体力がなくなったらしい。

私もなんとなく心当たりはあるなと思った。家からオフィスまで電車で1本、約1時間くらいずっと座っているのだが、行きはまだしも帰りは本当に体力がない。大体頭が回っていなくて、何か読もうとKindleを開くも、羅列されている文字だけ追ってなんにも入ってこない。コンテンツを消費する体力がない。

今日も今日とてパンクした頭を引き摺りながら帰ってきた。が、なんだか体力が衰えていることに抗いたくて、3ヶ月前くらいに買って積読していた雑誌を読むことにした。

 

雑誌を開くとやっぱりわくわくする。

「あっという間に秋が過ぎ去って、空気はつんと冷たくひんやりとした北風が吹く」なんておしゃれな表現や、
「まぁ、結局はちびちび熱燗を……。あ〜想像するだけで幸せだ」とインタビュイーの女優さんの言う姿がありありと想像できる言葉。

編集者ってすごいなぁとしみじみ思う。

極め付けは「昨日、寝る前にたまたま考えていたことなんですけど、」。本当に昨日の夜に女優さんが考えていたことを取材中に引き出したのなら、一体どんなアイスブレイクをして、どんな切り口で聞いたのか……。

編集者ってすごいなぁ。

 

黙々と読んでいると、思い出したことがあった。そういえばこれ、結構衝撃的な体験をしたときに買った雑誌だった。

お正月休みで実家に帰省していた1月。ゴロゴロ、ゴロゴロ過ごし、そろそろ動くかと駅の本屋に行った。私も編集者の端くれだし本とか雑誌とかコンテンツに触れないとね、と謎に浮き足立っていた。

駅の本屋はかなり大きく、3~4段の本棚がいくつもあって、そのなかにところ狭しと本が並ぶ。おぉ〜と、辺り一面“本”な光景を眺めながら足を踏み入れると、急にめまいがした。ゔっとなんだか気分が悪くなった。

ところ狭しと本が並んでいるのを見て、この本1冊1冊の裏側全てに編集者がいるのかと思うと、本がだんだん人に見えてきた。いうなれば、数多の編集者に囲まれているような状態だ。ベストセラーや注目の本たちを手掛けた大先輩の編集者さんたちがこちらを見ているような気がした。

萎縮したのかなんなのか、そのときの感情がいまだにわからないが、よ、世の中にはこんなに編集者がいるのか……と、謎に打撃を受けてひとりでゔっとなっていた。

 

そうだ、この雑誌はそんな衝撃体験をしたときに買った雑誌だった。そして、その雑誌を私は3ヶ月積読していた。

いま思うと、大先輩の編集者さんたちに、ちゃんと読めよと言われていたのかもしれない。体力がないだのつべこべ言わずに、ちゃんとコンテンツを消費しようと思った。

1年の振り返り

Instagramを眺めていると、後輩や院進した友達が卒業を迎えていた。

学位記や袴姿、晴れやかな顔を見ると、私もなんだか嬉しい気持ちになった。と同時に、自身の卒業から1年が経つのかと思うと恐ろしい。

1年。長いようで短かった気がする。思い返そうとすると、自分がへなへな社会人すぎてため息が出そうだ、あぁ、考えたくない。けど、2年目のためにもいつかちゃんと振り返らなけば。

 

そんなことを思っていたら、ちょうどこの前メンターさんから“1年を振り返る会”を開催するとの連絡が来たんだったと思い出した。メンターさん2人と上司、私の4人で、私の良かった点と改善点を振り返り、2年目に向けた準備をするらしい。

会までの宿題として、1年を通して良かった点と改善点を、業務内容(進め方、スキル)、周りとの関わり方の観点で振り返ることが課せられている。
せっかく振り返るなら、ブログに記録してしまえ!ということで、今日のブログには私の1年を通して良かった点と改善点を書いていこうと思う(公開するようなものじゃないけど)


良かった点:業務内容(進め方、スキル)、周りとの関わり方

  • 周囲からのレクチャーや自らの質問で、業務の進め方を理解・習得した。
  • SEO記事制作で、税金やクレカなど難しい題材に進んで挑戦した。
  • 執筆したSEO記事が、検索順位上位、高PVなど良い結果を出せた。
  • SNS運用のMTGでの発言で意見交換を活性化できた。
  • 不明点、不安点などはすぐに周囲に共有した。

主に、記事制作で読者にとって(もちろん私にとっても)理解しにくいであろう題材を積極的に選んで執筆できた点は良かったと思う。せっかく記事にするなら読後読者に「勉強になった(理解できた)」「新しい発見があった」と思ってほしい。リサーチに時間がかかるという改善点が出てきつつも、未知の分野を積極的に調査し需要に応える(良い数値につながる)記事制作をする姿勢は続けていきたい。

改善点

  • 複数のタスクを並行して対処すべき状況になかなか適応できなかった
  • 確認不足など小さなミスを頻発させた
  • SEO記事制作でのリサーチ、執筆に時間がかかる
  • 失敗やアドバイスへの受け止め方
  • 自分のことにいっぱいいっぱいで周囲へ価値を提供できていなかった

ブログにも書いたが、失敗やアドバイスへの受け止め方はちょっとずつでも必ず改善すべき点だと思う。失敗を過剰に恐れてしまったり、納得を優先させてアドバイスをもらった後の行動が遅れたり。かなり業務に支障が出てしまうので、自分の傾向を理解しながら思考の癖を変えていきたい。

 

こうして考えるとやっぱり1年は短い。総じて感じたことは、私は仕事において想像でき得る範囲が本当に狭いということ。仕事上で次に何が起こるのか、どの人にどんな影響が出るのか、といった想像(考え?)が至らなくて、業務の滞りやミスにつながることがよくあった。当たり前だが、社会に出るといままでの学びだけでは足りないことがたくさん出てくる。そんなときも、そう受け止めて学んでいくことが大切なんだろうな。

改善したいところや成長させたいスキルを常に意識して何かしら行動をしていないと、ぼんやりしていたらすぐにまた1年が経ってしまいそうだ。

はぁ。社会人って……難しい……。

今後の振り返り会を機に、1年をもう一度よく振り返って、2年目に繋げたい。

ものさし

以前と異なるものさしを指標にするのはちょっと勇気がいる。

 

1日1ブログを通して執筆スピードを上げようと毎日PCに向かっているが、最近よく思い出す情景がある。小学生のときバスケ部のフットワークで行っていた“サイドキック”。斜め横方向に足を蹴り出して、反対側の足で着地し、そのまま膝を曲げるという動作を体育館の端から端まで続ける、なかなかきついメニューだ。

あまり人気のないメニューだったが、私はマイルールを作って結構楽しんでいた。体育館にはいろんなテープが引かれているので「左に蹴るときはこのテープ、右に蹴るときはこのテープを絶対に越えよう」とか、「膝を曲げるときは肘が床につくくらい曲げよう」とか。

そんなことをしていたので、私は明らかにみんなよりゴールするのが遅かった。ただ、“サイドキックを真摯に(丁寧に)行っている”という点においては評価されたのだろう、コーチから褒められて満更でもなかった。

が、いま思い返せば、私のバスケスキルが伸び悩み始めたのは、意外とあのときからだったのではないかと思う。

冒頭にも書いた通り、以前と異なるものさしを指標にする勇気が私にはなかった。

“サイドキックを真摯に(丁寧に)行う”ことはもう一定達成できたのに、スピードを上げるとか回数を増やすとか、別の指標でトライすることができなかった。実は薄々気づいてはいたが「次でいっか」と伸ばし伸ばしにして、結局やらなかった。自分が確立した領域の外に出るのがちょっと嫌だった。

もちろんサイドキックに限ったことではない。一生懸命やっていたけど、ところどころでずっと使い続けたものさしを捨てられず、ぬるま湯に浸かり続けた結果、徐々に徐々にバスケスキルが伸び悩んでしまったのだと思う。

 

“執筆する”ことは大学2年生のブログ開設からなので、かれこれ6年間?続けている。ただ執筆のスピードはずっと遅い。最近よくサイドキックの情景を思い出すのは、いまと通ずるところがあるからだと思う。丁寧に執筆することは6年間続けていたが、そのなかで早く執筆することにトライしたことはなかった。いままでは必要なかった、とも、そのツケがいま来ている、とも言える。

どちらにせよ、いまが頑張りどきなんだと思う。

 

私のバスケスキルが“本当に”伸び悩んだのは中学3年生のとき。一生懸命練習していたのに、チーム内で、試合で、なんだか通用しなくなった。そのときに(当時はそんなに言語化できてなかったが)異なるものさしを指標にしてトライしてこなかったことに気づき、ちょっと後悔した。

 

全く違うジャンルではあるけど、いまが中学生のあのときの後悔を超えるときなのかもしれない。

『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦 』を観て

 今日満を持して『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦 』を観てきた。

私の『ハイキュー!!』歴はかれこれ6~7年。高校生のときにどハマりし、実家には全巻揃っている(揃えたのは一緒にハマった父)。帰省のたびに父の部屋からこっそり拝借して読んでいるが、未だに没入できる大好きな漫画だ。

私はひとりで映画を観に行ったのだが、映画館には3人以上で観に来ている人が多かった。読者の間で“好き”を共有されている漫画なんだろうなと、改めて『ハイキュー!!』の愛されぐあいを感じた。

 

映画化されたのは、漫画でも人気のエピソード“ゴミ捨て場の決戦”。私の推し・黒尾さんの頻出が約束されており、観るほか選択の余地はなかった。

冒頭は、カラスが旋回し、猫が登場……というシーンから。漫画ファンからすればこれ以上ないわかりやすい比喩であり、わかりやすいがゆえにこれから始まるぞ!感が一層高まった。

ほどなく、研磨が迷子になり日向と出会う。が、うーん……。前半は漫画のハイライトのような形になっていて、ひとつの物語として成り立っているのか若干疑問を抱いてしまった。(ちょっと粗い気がしたというか……)
私は漫画を読み込んでいるので登場人物たちの言葉の意味や重みをかろうじて追えたが、あまり知らない人・初めて観る人には伝わらなかったんじゃないかなぁ。

前半はそんな風に感じてしまった。

ただ、後半はメッセージ性に溢れていてとても感動的だった。特に終盤、完全に研磨の視点と一致して描写されるシーンは、映像だからこそ表現できるものだと思う。私は競技としてバレーをプレーしたことがないので、バレーの試合があんなにも近距離かつ凄まじいスピードで展開されることに驚いた。

研磨の有名なセリフで

おれ達が負けたところで勝ったところで誰も死なないし生き返らないし悪は栄えないし世界は滅びない。壮大な世界を駆け巡るでもなく ただ9×18mの中でボールを落とさない事に必死になるだけ。はぁ〜〜〜面白かった!

というものがあるが、9×18mの中でボールを落とさない事に必死になることがどれだけ難しいかを垣間見れた気がする。研磨は“必死になるだけ”と言っているけど。

ただ、“誰も死なないし生き返らないし悪は栄えないし世界は滅びない”はその通りで、部活はあくまでも部活。期間限定であり、世のなかに影響を及ぼすわけでもない。なのに、部活のあの、一喜一憂感情が動く感じや、複数の人たち(部員)が目線や行動を合わせる、あの感じはなんなんだろう。思い返すとフィクションみたいに思える部活の世界観って不思議だよなぁ。

また映画が、というわけではないけど、“ゴミ捨て場の決戦”は烏野高校、音駒高校のメンバーそれぞれが成長した姿を映し出してくれることも魅力のひとつだ。どのメンバーも進化のために新しいことを試し続け、試すことを楽しんでいる姿はとても勇気をもらえる。必要に迫られてやるのではなく、本当にただ純粋に上手くなるためにやる、その集中力と真っ直ぐさがもう眩しい。

部活をしていた中高時代に戻ってみたいなんて微塵も思わないが、『ハイキュー!!』の美しすぎる青春を観て、ちょっと若返った気がした。

もものかんづめを読み返して

1日1ブログを始めて8日目。
8日間続けてわかったのは、締めの言葉が難しいということ。

以前までブログは書きたい衝動に駆られたとき(=何かしら伝えたいことがあったとき)に書いていたので、あまり締めの言葉に悩むことはなかった。ただ最近は1日1ブログ(執筆スピードの向上)を目的に書いているので、かなり悩んでしまう。

そう思うと、エッセイを書いている人ってすごいなぁ。私の書くブログはエッセイではない(恐れ多くて言えない)が、何かというと多少は近い......ような気がする。

作家さんたちはエッセイをどんな風に書いてたっけ、とふと思った。気になってきたので、私の大好きなさくらももこさんのエッセイ「もものかんづめ」を読み返してみることにした。


結論を書いてしまうが、読み返して率直に思ったのは
必ずしも伝えたいことがあるわけではなさそう、ということ。

※あくまでも「もものかんづめ」を読んだ私の解釈。解釈が違う可能性もあるし、著書によって異なる部分なので“エッセイが”ではない。

もものかんづめ」では伝えたいことが山のようにひとつあるというより、小山が何個かあるイメージ。主となるエピソードの前に前座的に小さなエピソードを書いているといった構成のものもあった。
前座も本編?も面白くて、たまに前座が本編を食ってしまっているものもある気はするけど...

また各エピソードを読んでいると以下の共通点があるような気がした。

  • 共感できる
  • 比喩が秀逸
  • 最後に1文のオチ

エピソード「極楽通い」を例に詳しく書いてみる。

共感できる
とにかく絶妙に共感できるものが多い。一言で「こういう感情」とは言い表せないけれど、状況を交えつつ的確に「ある」を伝えてくれる。例えばこんな感じ。

(マッサージ師さんの)「どこがお疲れですか」という質問に対し、「ええと、首と肩と背中と腰と足です」と言えばヨカッタ、という私の後悔をよそに老婆は首スジを揉み始めていた。

痛けりゃ痛いと言えば良いものを、痛い方が効くのかも、という錯覚が私に我慢をさせてしまう。

比喩が秀逸
さくらももこさんは言葉と言葉(または状況)をつなげるの発想が本当に素晴らしいと思う。普段は連想し得ないが言われてみれば確かに似ていて、むしろそう表現するのがピシャリとくるようなものたちを的確に繋げているような気がする。

友人は、吸角をを行ったとたん背中の痛みが消え、爽やかな顔で首吊り台(著書での呼び方。マッサージ台の一種)へと登って行った。ところが、わずか傾斜二十度で苦痛を訴え、ツボ刺激ベッドに乗り換える変わり身の速さと言ったら、まるでこの世の栄枯盛衰の如しである。

最後に1文のオチ
もものかんづめでは大体最後に1行、チャンチャンと音の鳴りそうなオチ?が1行入っている。ちょっと哀愁が漂っているのも特徴的だと思う。流石にこのエピソードで伝えたいことがこれだったわけではないとは思うのだが……。

私は、うかつにも鍼灸院に保険証を忘れてきてしまい、また聞かなくてはならない。


私はエッセイをよく読むが、読み手としてではなく書き手として読んだのは初めてかもしれない。書き手として読むとあまり純粋に楽しめないので、書き手として読むなら2巡目以降が良さそうだ。
ただ、最近自分がエッセイに近しい何かを、特に強く伝えたいこともないまま書いているからこそ、読む視点を変えられたり生み出すことの難しさを少しは感じられた気がする。
もものかんづめを読み返して、あまり伝えたいことにこだわらずに書く日があっても良いのかなと思った。

良い仕事をしよう

最近仕事中によく心のなかで唱える言葉がある。

 

ゔっと感じる言葉をかけられたり、タスクが滞ったりしたときに、とりあえず

「良い仕事をしよう」と心のなかで唱える。

すると、今するべきことにスッと向かえる気がする。不思議と0.1mmくらい視座が高くなったように感じ、マイナスな感情から解放される。

 

そういえば、昔「良い」という言葉があまり好きではなかったけど、今はよく使うかもしれない。言葉に持つ印象が昔と比べて変わっているような気がする。

昔は、「良い」と言うと「悪い」が生まれる、または暗に示しているようであまり好きではなかった。良いも悪いもない!と、なぜか抵抗したくなった。

「良い」の印象が変わったきっかけはよく覚えている。大学生のとき森田先生が言っていた

「良く生きよう」

という言葉を聞いてからだと思う。

この「良い」が良い悪いの「良い」ではないことはなぜかわかった(実は解釈違ってたら爆発しそう)し、相対的ではなく絶対的な「良い」であることもわかった。強いて付け足すなら「より良い」になるのだろうか。

このとき「“良い”ってやさしい言葉なんだな」と思った気がする。

 

「良い」という言葉を使うと、ゼミのことを思い出す…まではいかないけど、どこかゼミの雰囲気を感じる。卒業から1年くらい経つけど、根底では今も支えられているのかもしれない。

 

明日は金曜日、明日も良い仕事をしよう。

理解と納得

〈理解〉と〈納得〉
似ているようで違う、この2つ。
私は仕事においてこの2つを混同していた。

理解=物事のすじみちをさとること。物事がわかること。
納得=他人の考え・行為を理解し、もっともだと認めること。

混同していたことに気づいたきっかけは、つい最近上司に言われた言葉。

「財前は納得を優先するよね。とにかくやってみればいいじゃんと思うけど」


仕事ができる人は、理解の優先順位をあげ、納得の優先順位をさげるらしい。(そのとき共有してもらった記事に書いていた)
特に新卒のような社会に出たての時期は、より経験を積む方が伸びる。経験を積むためにはそれ相応の行動が必要で、素早く行動するために理解した段階で動いてしまった方がいいとのことだった。

おっしゃる通りだと思った。
納得しなければ、それを解消するためのやり取りにコストをかけたり、迷いながら動いてスピードが落ちたりすることは多々あった。
ただ〈納得〉は、私がとても大切にしていたものだったので、一旦でも捨てなければならないことへの戸惑いも少しあった。


さて。上司からの言葉もあり、ここ数日は理解の優先順位をあげ、納得の優先順位をさげるよう心がけている。

併せて上司から「新卒はスピードという意味でも出社した方が良い」と言われていたので、(ちょっとよくわからなかったが)週4で出社もしている。

ただ今日やっと、“出社した方がいい”が少しわかった気がした。


最近ずっと、メディアの数値取得に時間がかかりすぎるなぁと悩んでいた。脳死でできるがフローが多くて時間がかかる。DAさんに仕組みを作ってもらえたら解決するのだが、あまり手を煩わせないようにとのことで、成すすべなく時間をかけていた。


今日も今日とて数値取得に時間をかけていたところ、たまたま出社されていたのかDAさんが歩いているのを発見。
最近の“数値取得をなんとかしたい……!”という気持ちが溢れ、気づいたら話しかけていた。

とりあえず、必要な数値を取得する仕組みを作ることは可能か、可能な場合どのくらい時間がかかるのかなど概要だけでも聞こう、と思い色々と話していたら
あれやこれやという間に、仕組みを作ってくださった(しかも私にレクチャーしながら)。


まずDAさんの技術が素晴らしすぎて本当に感謝の気持ちでいっぱいだった。
そして、ずっと悩みの種だったことが出社していたことによってすぐ解決したことにとても驚いた(たぶん100%、解決の要因=出社というわけではないけれど)。


上司が「新卒はスピードという意味でも出社した方が良い」と言っていたのはこういうことだったのだろうか。
まだ私は、自分の状況を端的に正確に伝えることや、次の段階を想像することが容易にできない。ただこの時期だからこそ、出社してコミュニケーションを取りやすい状況下で“コトを進める”ことに注力するべきなのかもしれない。

今回のように明確に解決したいことや求めることがなくても、オフィスには何かにつながる種がたくさん転がっているような気がした。


そしてちょっと、“理解の優先順位をあげ、納得の優先順位をさげる”を体現できつつある自分に成長を感じた🌱